特徴等 |
法華寺は、平城宮の東北に位置する藤原不比等の邸宅跡に光明皇后 (聖武天皇の皇后、701-760年) によって建立された総国分尼寺で、七堂伽藍が整えられて法華滅罪之寺と称された。その後、平安遷都など時代の移り変わりによる盛衰や兵火・地震などによる被災を経験するが、復興されて現在に至っている。現存する南門、鐘楼、本堂は豊臣秀頼の母淀君によって再建されたものである。 鐘楼は桁行3間・梁間2間で、袴腰を付け、入母屋造、本瓦葺の屋根をのせる。鐘を吊る上層に縁や勾欄を設けない珍しい造りとする。鬼瓦に慶長7年(1602)の刻銘があり、本堂と同時期の建造であることが明らかである。 参考資料:法華滅罪寺畧縁起(法華寺門跡)/法華寺HP/国指定文化財等DB(文化庁) 2019-8-17 |
法華寺鐘楼 (撮影:2008-5) | 法華寺鐘楼 (撮影:2008-5) |
番号-名称 | 年 代 | 構造等 | |
134 法華寺鐘楼 | 慶長7年 (1602) |
桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺 |
奈良県の重要文化財建造物 2018-2-9 現在 |